本日の映画は『偉大なるマルグリット』
音楽を心から愛し、歌に人生を捧げながらも、才能にはまったく恵まれなかったのヒロイン・マルグリットの生涯を描いた作品。
マルグリットのモデルは実在した超絶オンチな歌姫、フローレンス・フォスター・ジェンキンス。
フローレンスの生涯は『マダム・フローレンス!夢見るふたり』でも映画化されており、フローレンスを演じたメリル・ストリープは20回目のオスカーにノミネートされました。
関連記事>>>『マダム・フローレンス!夢見るふたり』/実在した絶世のオンチな歌手と、彼女の夢を支えるために奔走する夫。
本作『偉大なるマルグリット』の主演はカトリーヌ・フロ。『大統領の料理人』などで知られるフランスの大女優です。
『マダム・フローレンス!』と異なり、この作品はあくまでもフローレンスにインスパイアされたフィクションです。
超絶オンチのマルグリットは果たしてなぜ歌うのか?想像していたような「イイ話」ではなく、特に終盤で想定外の黒い展開を見せます。
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偉大になるマルグリット
監督・出演・製作 基本情報
監督:グザビエ・ジャノリ
出演:カトリーヌ・フロ/アンドレ・マルコン/クリスタ・テレ
製作:2015年/フランス
カトリーヌ・フロはフランスの女優で、実在した大統領の専属女性料理人をモデルにした『大統領の料理人』などに出演しています。
参考記事>>>『大統領の料理人』/フランスの家庭料理がとってもおいしそう。
あらすじ
1920年、フランス。新聞記者のボーモンは、パリ郊外にある貴族の邸宅で開かれたサロン音楽会に参加する。しかし主役であるマルグリット夫人は、救いようのない音痴だった。しかも周囲の貴族たちは礼儀から彼女に拍手喝采を送り、本人だけが事実に気づいていない。野心家のボーモンはマルグリットに近づくために翌日の新聞で彼女を絶賛し、パリの音楽会に出演者として招待する。音楽を心から愛するマルグリットは、本当のことを言い出せずにいる夫ジョルジュの制止も聞かず、有名歌手からレッスンを受けはじめるが……。 引用:http://eiga.com/movie/83633/
引用:http://eiga.com/movie/83633/
資産家のマルグリットは人生をかけて音楽を愛し歌を愛する女性だが、決定的に音楽的な才能が欠如している。しかし、本人はそれを知らない。
『アマデウス・クラブ』というクラブで戦災孤児たちを支援するためのリサイタルを開き、歌を披露するが、あくまでも「内輪」でのみ。誰も彼女に「本当のこと」を告げる者はなく、表面的にはマルグリットの歌を称賛する。内に冷ややかな嘲りを秘めていたとしても。
それはひとえにマルグリットの「資金力」と、男爵夫人であるという地位ゆえ。
クジャクの羽を髪にあしらい、歌って頭が揺れるたびに羽がぴょこぴょこ揺れる。素っ頓狂な歌声を張り上げるマルグリットの姿は滑稽なのだけど、どこか寂しげな雰囲気が漂う。
誰よりも彼女が歌を聞いてほしいと願う愛する夫ジョルジュは、自動車の故障を偽装してわざと遅刻してまで、マルグリットの歌を聞こうとしない。さらにあろうことか妻の友人と不倫!
マルグリットの「寂しさ」を見抜き、利用しようとするものも登場する。
▼辛口音楽評論家ボーモンと胡散臭い詩人。
引用:http://eiga.com/movie/83633/
ボーモンは新聞にマルグリットの歌を絶賛する記事を乗せ、彼女に近づき、音楽会への招待状を送る。『アマデウス・クラブ』のような閉じられた場所でしか歌ったことがないマルグリットは、初めて公衆の前で歌うことになる。
残酷な片思い
「マルグリットを傷つけないであげて。」
そう、願わずにはいられなかった。
どれほど愛しても、音楽の神様はマルグリットには振り返ってはくれない。
どれほど愛しても、夫ジョルジュはマルグリットにかまってはくれない。
無邪気に楽しそうに歌っているように見えて、マルグリットのふとした表情やしぐさから彼女の「孤独」がにじみ出るシーンがあり、決して叶うことのない「片思い」に身を焦がしているマルグリットに胸が痛んだ。
久しぶりに会った夫にそっけない態度を取られ、寝室で一人、仮面をかぶり、うつむくマルグリットは表情は見えずとも、確実に傷ついていることが伝わってくる。
「本当のことを言ってあげるのが優しさなのか?それとも黙っているのが優しさか?」
これは難しい問題で。「状況による」としか言えないだけど。
マルグリットの周囲にいる人たちは、マルグリット本人よりも「資金力」に魅力を感じているのがありありと伝わってきて、彼女への賞賛はその奥に「嘲り」が透けて見え、あざといとさえ感じる。
愛している夫には陰ながら「怪物」とまで言われてしまう。しかも、その言葉を妻の愛人に向かって言うんですよね。妻として、あまりに惨め(ノω・、) ウゥ・・・。
想像していた「ちょっとイイ話」からどんどん離れていくなか、マルグリットのためにファンからだと称して山ほどの花束を用意するなど、献身的に尽くす執事・マデルボスの存在に心が和みました。執事、大好き!
なぜ彼女は歌うのか?
もしかして、マルグリットは「真実」に気付いているのではないか?
すべてわかった上で「わざと」オンチな歌を披露しているのではないか?
マルグリットだけが知る「真実」は最後まで明らかにされなかったが、そう思わずにはいられないシーンがあった。
リサイタルの前日、「あなたが歌うなと言うなら止めるわ。」と言ってジョルジュに向けたすがるような表情。
そしてリサイタル当日。会場に嘲笑が満ちるなかで、じーっと夫の顔を見つめながら歌い始めたマルグリットの一瞬の奇跡の歌声。
のびやかで澄んだ歌声に嘲笑に溢れたホールはしんと静まり返り、観客たちが夫人の声に魅せられようとしていたその時、彼女は血を吐いて倒れてしまう。
彼女はすべてわかった上で、あえて夫の気を引くために音痴を装っていたかもしれない。ただ夫にかまって欲しくて、そして向き合って欲しくて。もしも夫の口から「真実」が告げられたなら、彼女は受け入れたのではないか?そんな風にも思った。
冷ややかだった夫ジョルジュも彼なりに妻を大事に思っていたのだ、ということが終盤になってわかるのだけれど。しかし、もう時は遅かった。
目を覚ましたマルグリットは「自分は世界的な大歌手である。」という妄想の中の住人になってしまう。そして「悲劇」が訪れる。
前半と後半でイメージががらりと変わる。
献身的でほのかにマルグリットに想いを寄せているように見えた執事マデルボスは、実は彼女の破滅の瞬間を写真に収めることを待ちわびていた。
カメラ越しにマルグリットを見つめる目は優しさに満ちていると思ったが、最後に映された彼の目はぞっとずるほど冷ややかに見え、思いやりに彩られていると思った行動がすべて、破滅させるためのものだったと気づいた時、うすら寒い感じが残った。
マルグリットが憎いのではない。ただマデルボスは自身の「芸術」を追い求め、その「芸術」ためにはマルグリットの破滅が必要だったのだ。
そしてあの占い師!見るからに胡散臭い怪しい女!
もしかしてマデルボスと最初からグルだったのだろうか?
占い師はボーマンすらも操っていたのだろうか?
さすがにそれは考えすぎかもしれないが、そう思わせるような異様さがマデルボスの目にはあったと感じた。
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まとめ
主演がカトリーヌ・フロ。
特別美人ではないけど、可愛らしいおばさん。
『地上5センチの恋』の夢のような出来事に思わず浮き上がってしまう(比喩ではなく(笑))オデット役が印象的で。
そんな彼女が主演なのだから音痴ではちゃめちゃだけど、憎めない可愛らしい女性が周りを巻き込みながらリサイタルを成功させるちょっとイイお話・・・そんなストーリーを予想していた。
ところがどっこい(死語)。そんな単純なお話ではなく。
前半と後半で見える景色ががらっと変わってしまった。ほのぼのとしたイイ気持ちで終わるのではなく、うすら寒いような感覚さえ残して映画は終わる。
ところどころ、あのエピソードはなんだったの?というところはありましたが、『マダム・フローレンス!』とはまったく味わいの違う仕上がり。どっちが好きかと言えば、ヒュー・グラントが出演している時点で文句なく『マダム・フローレンス!』なのですが、思いがけず人間のダークサイドを覗き見てしまい、これはこれで満足でした。
以上、『偉大なるマルグリット』の感想でした。
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