ものすご~く重くて、心の底から絶望的な気分になるような映画を観たくなる時がありませんか?
…この記事にたどり着いてくれたあなたなら、きっとありますよね?(笑)
私もあります…。『ひとりぼっちの青春』もそういう時に観た作品。
アメリカの映画サイトが選出したランキングにも選出された、ウツ映画の名作です。
参考>>【ずっしり重い絶望的なおすすめ映画】アメリカの映画サイト「Taste of Chinema」が選んだ心がつぶれそうになる映画20本~観るのに覚悟が必要です~
結論から言いますと、非常に私好みの作品で、どうしようもない絶望感と無力感に苛まれました。観てると顔がどんどん渋くなってきて、眉間にしわ寄りっぱなし。
元気なときに見ないと心をやられる危険性大。ウツ映画が好きな方に絶賛オススメしたい作品です。
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Contents
『ひとりぼっちの青春』
基本情報
監督:シドニー・ポラック
出演:ジェーン・フォンダ/マイケル・サラザン
制作:1969年/アメリカ
第42回アカデミー賞では9部門にノミネートされた(助演男優賞をギグ・ヤングが受賞)、アメリカン・ニュー・シネマの代表作です。
※このブログは基本的にすべての作品でネタバレをしておりますので、ご注意ください。
感想(ネタバレあり)
ダンスマラソン大会。
舞台は1930年代。世界恐慌当時のアメリカ。
世界的な大不況で、まともな仕事もなくあちこちに失業者があふれていた時代に、「ダンス・マラソン大会」にというイベントに参加する人々の物語です。
「ダンス・マラソン大会」は参加者受付の際には毎回希望者がつめかけて大行列ができる。大幅に年齢を偽った元海兵や身重の女性までもがこぞって参加を希望し長蛇の列を作るほどの人気イベントだ。
どうしてこんなに人気があるのか?はっきり言えば賞金目当て。
町にはまともな仕事もなく、人々は生きていくために「ダンス・マラソン大会」に参加し優勝して、多額の賞金を手に入れるしかないのだ。
そう、未曾有の大不況で失業者は溢れかえる中、困窮した人々がすがるような思いで参加するイベントだった。
大会中は食事つき。一日4回の食事と、3回の軽食が与えられる。たとえ優勝できなくても、大会中は飢えることはない。
ではダンス・マラソン大会とは具体的に何をするものなのか?
男女でペアを組み、ひたすら踊り続ける。ただそれだけ。昼夜を通して時間無制限で踊り続け、最後まで残ったカップルに1500ドルの賞金が与えられる。
ダンスが上手とか、二人の息があっているとか、そんなことは関係ない。最後まで踊り続けた人が勝ちという、耐久ダンス大会。
『1時間50分踊って、10分休憩』をひたすら繰り返し、10分休憩の間以外に眠る時間もなく、もちろん食事は立ったまま食べる。それが「ダンスマラソン大会」
全てフィクションだとばかり思っていたら、このようなダンスマラソン大会は、かつて大恐慌時代に本当に行われていたらしいです。今では考えられないけれど。
ヒロインのグロリアを演じるのは大女優のジェーン・フォンダ。
名優ヘンリー・フォンダを父に持つアカデミー主演女優賞を二度受賞した経歴を持つ。(受賞作は『コールガール』『帰郷』。その他にもノミネート経験多数。)
パートナーが病気で参加できなくなってしまったグロリアは、たまたま居合わせたロバートとペアを組んで、なんとか参加にこぎつける。
Hitori botchi no seishun (1969) – IMDb
見れば見るほどに、気分が落ち込んでゆく展開。
初めは余裕があった参加者たちですが、時間の経過に伴って、もうとても「ダンス」などと呼べるものではない状態になっていく。
Hitori botchi no seishun (1969) – IMDb
心身共に激しい疲労が苛まれ、まともに立っていることもできない人々が、心ここにあらずという表情で、よたよたしながらなんとなく体を揺らしているだけ。
一人で立っていることもできず、パートナーに寄りかかってなんとか倒れずに済んでいる、そんな状態で、ゆらゆら、ゆらゆら…。
さながらゾンビのごとく。
そして次々と脱落者が出ます。倒れたもののそばにはすぐに審判が駆け寄って、容赦なく10秒をカウント。10秒以内に立てなければ脱落。
開催時間が1000時間をゆうに超え、挙句の果てに発狂したりや死んでしまう人が出ても、決着はつかないのです。
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観客たち。
恐ろしいのは、この大会がショー仕立てになっていること。
踊り続けて、疲労でぼろぼろになっていく参加者たちを、観客が喜んで見ているのです。他人の不幸にのっかって、それを楽しめてしまう人間の残酷さと醜さ。観客たちは「応援しているつもり」でさえいる。
そし主催者側は観客のために、大会を盛り上げようと、参加者を追い詰める過酷な演出を次々に繰り出していく。こういったシーンは『グラディエーター』『バトルランナー』『ハンガーゲーム』等々にも描かれていました。
もっとも過酷な演出である『ダービー・レース』。
ひたすらトラックをぐるぐるとまわり続ける、この『ダービー・レース』のシーンはトラウマ級の地獄絵図となっております。
Hitori botchi no seishun (1969) – IMDb
最後の希望の果てにあった、絶望。
賞金を獲得して生活を立て直したい。それは参加者たちの最後の希望でした。もう”それ”しかなかった。日々の生活に困窮し、疲弊し苦しんでいる人たちはそこにすがりつくしかなかったのです。
しかし、その「最後の希望」さえも容赦なく打ち砕かれます。
Hitori botchi no seishun (1969) – IMDb
主催者から明かされた真実…。
結局のところ勝者など存在しなかったのです。どこまでも搾取されていくだけで、賞金1500ドルなど、実際には存在しないも同じだった。
1ヶ月間電車に乗るのを我慢して、貯めたお金で買った絹のストッキング。
それが破れてしまった瞬間に、グロリアの気持ちは完全に折れてしまう。人が絶望の底にあるとき、トドメをさすのは、そういうささいな出来事だったりするのでしょうね
この映画の原題は以下のようなものなのですが、まさにこの言葉の通りの結末を迎える。
廃馬に用意される結末は「死」しかない。
「廃馬は撃ち殺すんでしょう?(=THEY SHOOT HORSES,DON’T THEY?)」
冒頭でとても印象的な、幻想的で残酷なシーンがあるのですが、ここまで見ると、「ああ、このことだったんだ。」ってわかります。
まとめ
ウツ映画ということ以外、ほとんど予備知識がなしに観ました。
日本語タイトルから想像していたのは、ダンスの相手が見つからなくてさみしいひとりぼっちの青春です、みたいな学園もの…。全然違っていました。
未曾有の大不況の中で、苦しんで絶望している人たちに、過酷なダンスマラソン大会の先にある「賞金」というはかない希望を与えておいて、叩き潰す。
希望に必死に追いすがっている人々を見世物にし、彼らの足元を見るように次々繰り出される主催者側の演出。
それを喜んで観て、応援しているという行為に陶酔した観客たち。とても醜く、そして残酷でした。
観終わった後、落ち込むこと間違いなし!の映画でした。
▼こちらは本作には無関係です。
そうそう。
ダービーレースで妊婦の妻を引きずるように走っていた夫ジェームズ。演じていたのはブルース・ダーン。『ネブラスカ』で宝くじの当選を信じて旅に出るとぼけたおじいちゃんを演じた人。当然ながら本作では若い!
▼ブルース・ダーンがおとぼけおじいちゃんがいい味出してる。。
ちなみに妊婦のルビーを演じていたのはボニー・ベデリア。『ダイハード』シリーズでジョン・マクレーン刑事の奥さんも演じていることで知られる女優さんです。
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