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『ザカリーに捧ぐ』/すべてはザカリーのために。想像を絶する苦しみに耐えた夫妻の記録【ネタバレあり】

本日の映画は『ザカリーに捧ぐ』です。

悲しく残酷な事件に巻き込まれてしまった人々の日々を記録したドキュメンタリー映画です。

本作の中で描かれる事件は、想像を絶する悲劇です。

この世の中に、こんなにも悲しくて残酷なことがあるのか…。こんなにも腹立たしいことがあっていいのか…。

赤の他人の私がここまで強い怒りと悲しみを抱かずにはいられないのだから、渦中にあった人々がどれほど傷つき、苦しんだか…、想像を絶するものがあります。

しかし、これは現実に起こったこと…。ドラマの世界でもありえないような、信じがたい老夫婦の日々が記録されています。

この映画を知ったきっかけは、アメリカの映画サイト「taste of Chinema」が選んだ「心がつぶれそうになる20本」に選出されていたこと。

詳細>>「taste of Chinema」が選んだ「心がつぶれそうになる20本」

映画評論家の町山智浩さんがセレクトした日本未公開のドキュメンタリー作品を紹介する『未公開映画を観るTV』というテレビ番組で放送されたこともあるそうです。

『未公開映画を観るTV』は町山さんセレクトの、かなり見ごたえのあるドキュメンタリー作品が数多くラインナップされており、レンタル可能な作品も複数あるのでかなりオススメ。ヘビーな内容の作品がずらり。本も出版されています。

▼『未公開映画を観る本』

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『ザカリーに捧ぐ』

あらすじ

ある日突然、最愛の息子が殺された。

息子の名前はアンドリュー。享年28歳。

誰にでも愛される明るい性格で友人も多いアンドリューは将来を期待される、優秀な若手医師でした。

しかし、人生はこれからという時に、アンドリューは無残にも殺されてしまう。

アンドリューを殺害したのは元恋人のシャーリー。

アンドリューはシャーリーにストーキングされた挙句、5発の銃弾を浴びせられ、命を奪われました。

シャーリーは40才で、バツ2、3人の子持ち。アンドリューの友人や同僚たちの多くはシャーリーは「危うい女性」だと感じていた。

しかし、当時のアンドリューは婚約者との破局や仕事のことでかなり精神的に追い込まれた状態だったらしく、シャーリーの「危うさ」に気付けるような状況ではなかったのだそうです。

真面目なアンドリューはシャーリーに誠実に対応しようとしました。しかし、シャーリーの異常性はアンドリューの理解を超えていたのです。(※このあたりはすべてアンドリュー側の人々の証言によります。)

しかも、悲劇はそれだけではありませんでした。

アンドリューを殺したシャーリーのおなかの中に、アンドリューの子供が宿っていたのです。

のちにザカリーと名付けられることになるアンドリューの息子…。アンドリューの両親にとっては孫にあたります。

この作品はアンドリューの親友であったカートが、生まれる前に父を亡くしたザカリーのために、亡き父がどういう人物であったのかを伝えることを目的に作成したドキュメンタリー映画でした。

しかし、思いがけない出来事により、この映画の目的は大きく変わることになります。あまりにも悲しい現実に、言葉を失ってしまうことでしょう。

以下は結末に言及しておりますので、ご注意ください。

すべてはザカリーのために。

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一人息子を殺される、という突然の悲劇に見舞われた老夫妻…。

「息子の葬儀が終わったら自殺することさえ考えた。」というほど、絶望の底に落とされた夫妻が、孫ザカリーを守るために立ち上がり、筆舌に尽くしがたい苦しみに耐え、必死に戦う姿が記録されています。

夫妻はザカリーと名付けられた孫の親権を求めて提訴、仕事を辞め、これまでの生活のすべてを捨ててザカリーのいる街に移住します。

そもそも、ザカリーには憎んでも憎み切れない、息子の命を奪った憎い女の血が半分流れています。その事実を受け入れるのも、かなりきついものがあると思います。

アンドリューの子であると同時にシャーリーの子であることの葛藤を飲み込んで、それでもなお、彼らはアンドリューの血を引く孫を引き取りたいと願ったのです。

しかし、孫ザカリーの親権を得ることは簡単ではありませんでした。

シャーリーは逮捕されても即日保釈され、そのままザカリーを育てることが許されたのです。

シャーリーの罪がごく軽いものならばまだ理解できます。しかし、彼女が起こしたのは「計画殺人」です。そんな重罪を起こした人間を簡単に保釈し、子供を育てさせたのです。カナダという国は。

加害者にも人権がある。

それはわかります。犯罪を犯した人間であっても、人間として扱われるべきでしょう。

しかし弾丸を5発も打ち込んで人を殺す人間を、簡単に保釈して外に出していいのか?実の親子だからと、赤ん坊を育てさせることがその子のためになるのか?

ごくごく常識的な感覚を持っていれば、「NO」だと思う人が大半なのではないでしょうか。とにかくムカムカして、たまらなかった。

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夫妻が孫ザカリーに対面するためには、親権者であるシャーリーの同席が必要になります。

最愛の息子を奪った、憎んでも憎み切れない女と顔を合わさねば、孫に会うこともできないのです。こんな酷なことがあっていいのでしょうか…。

本作の中で、孫ザカリーと初めて対面する夫妻の姿を映した、1枚の写真が紹介されています。初対面のザカリーを見つめる祖父母の眼差しはとても優しく、慈しみに溢れており、見ていて涙がにじみました。アンドリューのご両親は、本当に知的で穏やかな素晴らしい人たちなんです…。

シャーリーはいったんは収監され、親権は夫妻へと移りました。しかし、その後またしてもシャーリーは保釈、ザカリーは夫妻の元からシャーリーの元へ戻されてしまう。

シャーリーの犯罪は「限定的」だと、司法は言う。

「殺したい相手は殺したので危険はない」

ということなのだそうです。

だから彼女の釈放は、公益に反しない、と。それが司法の判断でした。

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シャーリーと夫妻の関係は、否応なく続いてゆくことになります。ザカリーと面会するためには、シャーリーと連絡を取り続けなければならない。

ザカリーを守るためには、それしか選択肢がない。

「あの女には吐き気しかしなかった。」

穏やかなアンドリューの父が、作品中で声を荒げてこう言います。それほどまでに、シャーリーの行動や言動は異常でした。当然ですが、反省の弁など一切ありません。

シャーリーは、夫妻がザカリーと会うことを「許してあげている」と上から目線で言い、面会日直前で一方的な日程の変更して夫妻をザカリーに会わせまいとしたかと思えば、泣きながら「食べ物もおむつもない。」と困窮を訴え助けを求めてくる。

自分を捨てた男の親を、苦しめることだけが目的のように、シャーリーは夫妻を翻弄し続ける。

そんな「吐き気しかしない」相手であってもアンドリューの父は電話口でシャーリーをなだめて食べ物やおむつを届けます。そうするしかないのです。

ザカリーのために。

夫妻はザカリーのために、想像を絶する苦しみに耐え続けるのです。

夫妻がザカリーに会う時は必ずシャーリーが同行し、シャーリーと共に公園に行き、プール遊びをし、ザカリーの誕生日会を開く。

ザカリーが自分よりアンドリュー母になついている様子を目にしたシャーリーに「でしゃばらないで。」と罵倒されても、耐える。

すべてはザカリーのために。

いったいなせ?

こんなにも誠実で一生懸命に生きてきた人たちが、どうしてこれほどの仕打ちを受けねばならないのか。どうして彼らは耐えられるのか?私だったら、きっと壊れてしまう。

息子を殺した犯人と同じ空間にいたくない。

同じ空気を吸いたくない。

この手でカタキを取ってやりたい。

きっと彼らの胸の内にも、そんな怒りと憎しみが暴れ狂っていたに違いないと思う。

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 さらなる悲劇が夫妻を襲う

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シャーリーとの苦しみに満ちた日々の先で、さらなる悲劇が夫妻を襲います。

シャーリーはザカリーを殺して、自殺したのです。

バーで親しくなった男に別れを告げられ、何十件も留守電を残した挙句、彼の犯行であるように見せかけるような細工をして、ザカリーと一緒に海に飛び込みました。

ザカリーは1歳になったばかりでした。

この作品の中ではシャーリーの生い立ちも心情も一切描かれません。だから、私にはシャーリーが怪物にしか見えない。もしかしたらシャーリーにも悲しい生い立ちがあったかもしれない。彼女には彼女の言い分があったかもしれない。

しかし犯した罪は決して許されるものではない。

死にたいなら、いっそ一人で死ねばいい。

他の3人の子は殺さなかったのに、なぜザカリーだけを連れて行ったのか?最後まで夫妻を苦しめたかったのか?それはもう誰にもわかりません。

アンドリューの父は言う。

ザカリーを連れて逃げるか、あの女を殺すか、さんざん考えた。

自分があの女を殺せば、ザカリーの親権は妻に移る。

そこまで考えるほどに夫妻は追い詰められていたのです。

可能な限りの理性で以て、冷静に論理的に話をしょうと心がけていた彼が「Fucking  bitch.」という言葉を使うほどに、彼はシャーリーを憎んでいました。

 ザカリーは司法に殺された

もしも、シャーリーが保釈されず、親権を取り上げていれば、ザカリーは今も生きて夫妻とともに幸せに生きていたはず。

その後、夫妻は活動家になり「ザカリーは司法に殺された。」と訴え、殺人被害者の会を設立し、同じような立場の人たちのために尽力しました。

殺人者の保釈問題について提言を続け、彼らの書いた本はベストセラーになりました。

ザカリーに父のことを伝えるために作り始めたこの作品は、今、私たちに大切なことを教えてくれている。

どうして夫妻はそんなに強くいられるのか?

息子を殺され、その犯人にも司法にも何重にも傷つけられ、苦しめられ、生き地獄を味わわされながら。それでも耐えて、さらに孫まで奪われて、なお。

どうして、こんなにも強く生きていられるのだろう?

涙があふれて止まりませんでした。

この映画にはアンドリューのことを涙を流しながら語る人々が、たくさん出ていきます。どれほど彼が愛されていたか、よくわかります。

そして多くの人が、夫妻のことも愛しました。

「自分は彼らの子供だ。」「彼らは自分の親でもあるのだ。」と語る多くの人々がいてくれたおかげで、そして、何よりもお互いがいたおかげで、夫妻は息子と孫の後を追わずに、生きようと決めたのかもしれない。

本作には人間のおぞましさも見せつけられましたが、人間の絆、強さ、尊さも見たように思う。

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2006年にザカリーの死に関する報告書が出されます

「ザカリーの死は防げた。母親にゆだねたのは誤りだった。」

(※但し、保釈については原因不明とされました。)

そしてカナダ政府は「暴力問題で告発された親の子供を保護すること」を決めたそうです。

***

どうか、この先の夫妻の人生が少しでも優しいものでありますように。

そして彼らが召されたときは天国で、アンドリューとザカリーに再会できますように。

そう祈らずにはいらませんでした。

このお話は「奇跡体験!アンビリバボー」でも紹介されたことがあるらしいです。私は初めて知ったのですが、ご存知の方もいらっしゃるかも。

以上、『ザカリーに捧ぐの感想でした。

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