『ムーンライト』は第89回アカデミー作品賞を受賞した作品です。
受賞作品発表の際に『ラ・ラ・ランド!』と取り違えて発表されてしまうという前代未聞のトラブルもありました。
『ムーンライト』は孤独で純粋なたましいを持った少年が、大人になっていく物語。とても美しい作品です。
心を切り裂かれ、踏みにじられた哀しいできごと、そっと寄り添ってくれた大切な人、誰かを切実に愛したこと。
自分自身の人生の中に、かつて存在したであろう「大切な何か」に想いを馳せずにはいられなかった。美しい結末に涙がこぼれました。
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『ムーンライト』
『ムーンライト』の監督・出演者・製作等の基本情報まとめ
監督:バリー・ジェンキンス
出演:トレバンテ・ローズ/アシュトン・サンダース/アンドレ・ホランド/ナオミ・ハリス/マシャーラー・アリ
製作:2016年/アメリカ
助演男優賞を受賞したマシャーラー・アリは『ハウスオブカード 野望の階段』でレミー・ダントンを演じた俳優さん。個性的な顔立ちをしているので、印象に残りやすいです。
シャロンの母親を演じたのははナオミ・ハリス。(本作でアカデミー助演女優賞にノミネート)
ドラッグ中毒で育児放棄という役どころでしたが、観たことあるなと思ったら『28日後…』でゾンビに追われてた人!その他には『007』のミス・マネーペニーなどの出演作があります。
『ムーンライト』のあらすじ
マイアミを舞台に自分の居場所とアイデンティティを模索する少年の成長を、少年期、ティーンエイジャー期、成人期の3つの時代構成で描き、第89回アカデミー賞で作品賞ほか、脚色賞、助演男優賞の3部門を受賞したヒューマンドラマ。マイアミの貧困地域で暮らす内気な少年シャロンは、学校では「チビ」と呼ばれていじめられ、家庭では麻薬常習者の母親ポーラから育児放棄されていた。そんなシャロンに優しく接してくれるのは、近所に住む麻薬ディーラーのフアン夫妻と、唯一の男友達であるケヴィンだけ。やがてシャロンは、ケヴィンに対して友情以上の思いを抱くようになるが、自分が暮らすコミュニティではこの感情が決して受け入れてもらえないことに気づき、誰にも思いを打ち明けられずにいた。そんな中、ある事件が起こり……。母親ポーラ役に「007」シリーズのナオミ・ハリス、麻薬ディーラーのフアン役にテレビドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のマハーシャラ・アリ。プロデューサーとしてアカデミー賞受賞作「それでも夜は明ける」も手がけたブラッド・ピットが製作総指揮。本作が長編2作目となるバリー・ジェンキンスがメガホンをとった。引用:ムーンライト : 作品情報 – 映画.com
『ムーンライト』の感想(ネタバレあり)
ドラッグによる家庭崩壊、育児放棄、虐待、虐め、LGBTなど、いくつもの深刻なテーマを取り扱った作品です。
ストーリーは淡々として進んでいくのですが退屈することはなく、タイトルにあるムーンライト=月光を思い起こさせる「青」に彩られた美しい物語でした。
親切な映画ではないです。無口な主人公は多くを語らず、他の登場人物も多くを語らない。
シャロンという一人の男性の人生で起きたさまざまな出来事をたんたんと描き出していくのですが、どのエピソードにも無駄がなく、惹きつけられて止みませんでした。
観客に親切すぎて過剰な映画はうるさく感じてしまうことがある。「ムーンライト」にはそれがなく、波の音に身を任せ、月光に包まれている気持ちになりました。
何度も切りつけられるように辛いシーンに遭遇しますが、クライマックスでシャロンが許し、自分自身を解放した時は涙がこぼれてしまった。
「ようやくココにたどり着いた」
そう思いました。
第一章:幼少期のシャロン
幼いシャロンはほとんど口を利かない。母親はドラッグ中毒で育児放棄状態にあり、学校ではひどいいじめにあっている。
ドラッグの取引も行われる危険な廃墟で震えているときにシャロンを見つけてくれたのがドラッグ売人のファン。ファンはシャロンに食事を与え家に帰りたがらないシャロンに一夜の宿を提供する。
この後、ファンとその妻テレサは数少ないシャロンの理解者となるのですが…。
「一心不乱」
という表現がぴったりなシャロンの食べ方。小さな子どもがよく食べるなぁと思いましたが、それはまともに食事が与えられない劣悪な養育環境の証拠みたいなものですよね…。
翌朝自宅へ送って行ったファンへの母の態度はひどいもので…。シャロンが帰りたがらなかったのも無理はないなぁと思いました。
▼「青」で彩られた作品の中で、母親の部屋は毒々しいピンクの光を放っている。
ドラッグに溺れ育児放棄をし、シャロンの心を切り裂く言動や行動を繰り返す母。ドラッグのために売春までしているが、夫の姿は見えず劇中で語られることはない。ドラッグに溺れて堕ちるまで、彼女には彼女のドラマがあったのだろう、と思う。
シャロン本人が自分の性的嗜好にまだ気付いていないのに、母親だけでなく幼い子供たちがそれに気づいているのが驚きだった。母曰く「歩き方」でわかるのだそうだ。
少数者であることを見抜かれると、苛烈な虐めに遭遇する。シャロンがありのままで生きることは難しい。
「オカマって何?」「ゲイを不快にさせる言葉だ。」
シャロンの質問に対するファンの対応に優しさと誠実さを感じました。
シャロンが質問を発したこの瞬間がシャロンの人生の中で大事な瞬間であることを理解して、貶めず否定せず傷つけないように言葉を選んでいるのが伝わってきます。
しかしシャロンを取り巻く現実はどこまでも残酷です。
「ファンはドラッグの売人なの?」
シャロンに問われて、自分を恥じるように顔を伏せるファン。シャロンに心のよりどころを提供してくれた人物は、母親にドラッグを売りつけており、母を狂わせている張本人でもある…。
シャロンは何も言わずに去っていく。
ふと思った。ファンは自分で売人の道を「選んだ」のだろうか?
「自分の道は自分で決めろ」「周りに決めさせるな」と、砂浜でファンが語った言葉はかつての自分自身に言いたかった言葉なのかもしれない。
ファン、そしてケヴィンという少年がシャロンの唯一の友人なのだけれど、ケヴィンはシャロンの人生において大きな意味を持つ人物になる。
<スポンサーリンク>第二章: 少年期のシャロン
第二章に入ったら、ファンがいなくなっていた。
登場人物の会話からどうやら亡くなったらしい、とわかるだけで説明は何もないが、ファンの妻テレサとシャロンの交流は続いており、テレサはシャロンに食事を与え家に泊めてお金を持たせている。
二人のベッドメイクのシーンが好き。相変わらず無口で無表情なシャロンだけれど、わずかな表情の変化がテレサが彼にとってかけがえのない人物であることがわかる。
自宅に戻ればドラッグの禁断症状に陥った母親が待ち構えており、テレサにもらったわずかなお金も奪われてしまうのだけれど、シャロンが母親に見せる哀しみと軽蔑に彩られた表情とテレサへの表情とのギャップが痛々しく感じる。
テレサに見せた年相応の少年らしい表情こそが、本物のシャロンなのに。高校生になっても相変わらずシャロンへの虐めは続いており(むしろ激化)、特に虐めの主犯、レゲエ野郎の凶暴さは犯罪レベル。
▼真ん中が「レゲエ野郎」
シャロンの友達は相変わらずケヴィンだけ。やがてシャロンはケヴィンに友情以上の感情を抱くようになる。二人は砂浜でかけがえのない夜を過ごし、シャロンの人生にわずかな明かりが射しこんだ、
と思った…。
しかし、それは束の間のことで、シャロンはケヴィンにさえ裏切られてしまう。(ケヴィンの立場では仕方がなかった部分もあるが。)
自分に殴りかかろうとするケヴィンを前にしたシャロンの哀しいまなざし…。「倒れていろ。」と言われてもシャロンは何度も立ち上がる。視線はまっすぐにケヴィンを見据えて離さない。裏切られた哀しみと怒り、誇り高さ。
虐めの主犯に「復讐」をし警察に連行される時、睨み付ける視線の先にいるのはケヴィンだった。シャロンの心がどれほど切り裂かれたか、想像するだけで苦しくなる。
第三章:成人したシャロン
大人になったシャロンは王冠のついた車を運転している。この王冠はファンの車にもあった。シャロンが売人と言う道を歩むことになったのは、おそらくファンの影響も大きいのだろうな。
シャロンはファンが言い聞かせたように「売人であること」を「自分で選んだ」のだろうか?恵まれた人生とは言えないけれど、せめてそうであってほしいと思った。
シャロンが通り名として使っている「ブラック」は、かつてケヴィンが名付けたもの。その名前を今も使っているということは、あの裏切を経てなお、ケヴィンが特別な存在であることを表している。
レゲエ野郎に復讐して刑務所に入れられたあの日とおなじようにシャロンは氷水に顔をつける。怪我をしていなくても。それは自分の中の何かを抑え込む儀式のようにも見えました。「あの日」からずっと会うことがなかったケヴィンと思いがけず再会する日がやってくる。テレサに連絡先を聞いたケヴィンからシャロンの元へ電話がかかってくるのだ。
▼ハグを交わす二人。
ケヴィンの性的嗜好は本作では明らかにはされないけれど、二人の間に”特別な何か”が流れているのはわかるので、そこは大きな問題ではないのだろう。
ダイナーに行く前にシャロンが身支度を整えているシーン。その心が落ち着かない様子は微笑ましささえ感じてしまった。(食事のあと乗り込んだ車の中でケヴィンが同じようにブラシをかけている姿も忘れがたい。)
ダイナーでの二人の時間は観ていてドキドキしてくるほど濃密で、互いの想いに溢れていた。ただ、料理を作っているだけのシーンだけれど、ケヴィンの表情で大切な人に想いを込めて料理を作っていることがわかる。
「味わわずに飲み干した。」
これはお酒の話だけれども、おそらくシャロンの人生もそうだったのかもしれない、と思った。味わうことなく飲み干すように生きてきた。ゆっくり味わうには苦すぎる人生だったのかもしれない。
クライマックスのシャロンからケヴィンへの「愛の告白」
「好き」「愛している」こんな言葉を使わなくても愛を伝えることはできる。
シャロンは”あの夜”以来、誰とも触れ合うことなく生きてきたことを告白する。少年から大人になって、ずっと会わなくもケヴィンと、”ケヴィンと過ごした夜”はずっと特別だった。きっと何度も反芻し、日々の支えでもあったはず。美しい思い出はそれだけで生きる意味を与えてくれることがある。
長い長い旅だった。
シャロンはようやく自分自身を解放することができたのかもしれない。ケヴィンがシャロンを受け入れたらしい様子が最後に映し出され、ほっとした。身を寄せ合う二人は幸せそうで、本当に美しいシーンでした。(そして涙…)
<スポンサーリンク>まとめ
シャロンを年代によって3人の役者が演じ分けているのですが、別人なのにふとした表情、特に目を伏せて俯いた表情は見事に3人とも同じ表情で驚きました!間違いなく同じ魂を持つ人間のように見えた。3人が3人ともすごい!
母親との和解のシーンも素晴らしかった。この和解があったからこそ、ケヴィンへ想いを伝えることができたのだとも思う。
今はホームに入り、まっとうな人生を歩み始めたらしい母親。随分と小さくなり年を重ねた様子が映し出されたが、全身から攻撃的なオーラを放ち、荒々しい感情をほとばしらせていたあの母はもういませんでした。
なぜ彼女がドラッグを止めたのか、その経緯もいっさい語られないけれど、そこにもドラマがあったのだろう。
ファンの死、ファンの死後のテレサの人生、逮捕から売人になるまでのシャロンの人生、ケヴィンの人生。映画の中では語られなかった人生にも想いを馳せずにはいられませんでした。
以上、『ムーンライト』の感想でした。
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