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『午後8時の訪問者』/あの時、ドアを開けていれば…。無関心が招いた悲劇。ダルデンヌ兄弟監督作品。

ポスター画像

今日の映画は『午前8時の訪問者』です。

カンヌ映画祭で二度のグランプリを獲得した経歴を持つダルデンヌ兄弟の最新作。重苦しい映画が大好きなので気になる監督さんです。

本作はサスペンス色が濃いらしく、予告を観て気になっていた。新宿武蔵野館にて鑑賞。

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『午後8時の訪問者』

基本情報

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ

出演:アデル・エネル/ジェレミー・レニエ

製作:2016年/ベルギー・フランス

▼ダルデンヌ兄弟監督作品

あらすじ

ある日の夜、診療受付時間を過ぎた診療所のドアベルが鳴るが、若き女医のジェニーはそのベルに応じなかった。しかし翌日、身元不明の少女の遺体が診療所近くで見つかり、その少女が助けを求める姿が診療所の監視カメラに収められていた。少女はなぜ診療所のドアホンを押し、助けを求めていたのか。少女の死は事故なのか、事件なのか。そして、ジェニーはなぜドアホンに応じなかったのか。さまざまな疑問が渦巻く中、ジェニーは医師である自身の良心や正義について葛藤する。http://eiga.com/movie/86018/

感想(ネタバレあり)

ダルデンヌ兄弟の作風を知らないと少々受け入れるのが難しいのかもしれないと思った。私も映画が終わったとき「え?!」と思ったし…。

車の走る音だけが聞こえてくる静かなエンディングロールの中であれこれ考えこんでしまった。謎が解明されたようで解明されない謎も残り、もっと別の何か得体の知れないものに突き当たってしまったような感じがした。あまり後味はよくない。

サスペンスという宣伝のされ方だけれども、サスペンスを期待するとちょっと違うかも。事件の真相追及というよりも一人の女性医師の生き様や心のありようを描いていて、無関心が救いようのない悲劇を招くことがある。たとえ悪意がなくても…そんな現実を見せつけられる映画だった。

扉を開ければ救えた命があった。

主人公の女性医師・ジェニーには物語が始まった当初はいい印象を抱けなかったのだが、物語が進むにつ入れ印象が変わっていく。

てきぱきとした診察風景から”優秀な医師”なのだろうなぁというのはわかったが、研修医ジュリアンへの上から目線の物の言い方は正直なところ不快だった。ジュリアンの人格的な部分までストレートに批判するくだりは特に…。「イヤな女!」と思ったのは私だけではないはず。(ジュリアンの態度も大人げなかったが、その隠された理由は後に明かされる。)

一日の診察が終わり、事務処理を行っているとインターフォンが鳴る。応対しようとしたジュリアンを「(診察時間が終わって)一時間以上も経っているのだから。」とジェニーは止める。

インターフォンが鳴ったのは1回だけで、「緊急だったら何度も鳴らすから。」というジェニーの判断は至極まっとうなものに思える。複数回鳴らされていればドアを開けただろうし、ちらっとでも訪問者の姿を見ていれば尋常でない様子に間違いなく空けたはずだ。

でもこの時ドアを開けなかった。これが運命の分かれ道。

午後8時に診療所を訪れた訪問者は翌日遺体となって発見されることになる。アフリカ系の移民らしい黒人の少女で、どこから来たのかも名前すらもわからない。殺人かどうかは断定できなかったが争った形跡があり、直前に誰か接触した人物がいることは確かだった。しかし誰も名乗り出る者はいない。

「あの時、ドアを開けていれば、死ななかった。」

ジェニーはドアを開けなかったことを深く後悔することになる。医師であり、命を救うことを仕事にしているからこそ、余計に救えなかった命を悔やんだかもしれない。この事件はジェニーの未来を大きく変えることになり、決まっていた転職も蹴り、小さな診療所を老医師から引き継ぐことを決意する。23人もの候補者の中から選ばれ、辞退した後も引きとめられるほど期待され厚遇だったにもかかわらず。

ジェニーの決意を知った老医師の喜びぶりも印象深かった。この医師はきっとぎりぎりの経営状況で地域の貧しい人々の医療に尽力してきた人物なのだろう。

ジェニーは仕事をこなしながら、被害者の写真を患者たちに見せ情報を募る。写真を見せた途端に患者の少年ブライアンの脈拍に異常が生じたことに気付くあたりは、さすが医者という感じで感心させられた。

画像4http://eiga.com/movie/86018/gallery/5/

 

物語は少女の身元捜しと、ジェニーの仕事ぶりが軸として描かれ、そこに医者を諦めて田舎に帰ってしまったジュリアンとのエピソードが絡んでくる。

ジェニーは診療所に泊まり込み、(これはいつでもドアが開けられるようにとの思いからだろう)深夜でも呼び出しがあれば往診に出かけいく…。診療所の患者たちは決して裕福ではなく、貧しい人たちだ。しかしみながジェニーに感謝している様子で、手作りのワッフルやお菓子を渡している様子が印象的だった。

ほとんど表情を変えることのないジェニーだが、患者が大きな病気でないと分かったときや、医師を諦めようとしていたジュリアンが復帰することを知った時には堪えきれない喜びが表情に出る。彼女は誰も見ていないところで、こんな風に”自分ではない誰か”のために笑うことができる人なのだ。いつの間にか、ジェニーへの印象が変わっていた。

患者の中には「仕事をさぼりたいから診断書を書け。」と脅してくる輩もおり、毅然と対応していたジェニーが本気で恐怖を感じているシーンも描かれる。この診療所で働くと言うことはこういう厄介な人物を相手にすることでもあるのだけれど、ジェニーは決して逃げない。

この後、少女の身元を探る過程においても何人もの男たちがジェニーを恫喝する。身の危機すらほのめかすものもいる。それでも彼女は決して諦めない。

名前のない少女

少しずつ情報が手繰り寄せられていくところはサスペンスとしても楽しめる。怪しい人物は早い段階で見当がつくものの、その人物のダメっぷりがまた…┐(‘~`;)┌

ダルデンヌ兄弟作品の常連、ダメ男を演じ続けるジェレミー・レニエがまたダメダメぶりを存分に披露。

画像5http://eiga.com/movie/86018/gallery/6/

少女は娼婦だった。彼女を買おうとしてトラブルを起こしたのが、ジェニーの患者ブライアンの父だった。ブライアンが秘密を守ろうとするのは父のためだった。

「お前が扉を開けていれば。」

「あの時息子が声を掛けていれば、彼女に声をかけなかった。」

ブライアンの父は自己に責任があると認めることをせず、悪いのは他の人という胸くその悪いタラレバを繰り返す。

少女に死因は失血死。もしも転倒した少女を放置せず助けを呼んでいれば救えた命だったのだ。不作為の積み重ね、自己保身と無関心が、一人の女性を名前すらわからない被害者にしてしまった。

 果たして少女は誰だったのか?

診療所に被害者の女性の姉だと名乗る人物が訪ねてくることでようやく少女の名前が判明する。妹はある男に売春をさせられていたのだという。そしてその男は姉の恋人でもあった。

「男が怖くて、妹に嫉妬もあった。止められなかった。」

そう言って姉は涙を流す。

この事件に関わりを持った誰もが「こうすれば避けられた。」という部分を持っているのだが自己保身と後ろめたさから少女を”名もなき者”にしようとしているのに対し、自分の責任を認めているのはこの姉とジェニーだけなんだよね。二人が抱き合うシーンはいいシーンだった。誰も少女の死を悼もうともしないなかで、この二人だけがその死を心から哀しみ悼んでいた。

それにしても驚いたのは、姉から伝えられた少女の名前と警察から知らされた名前が違っていたことだ。どういうことなのだろう?と先の展開を考えているうちに映画が終わったハッ!(`ロ´;)

どういうことなのだろう?(名前違ってましたよね?私の勘違い?)

警察が嘘をついた?

被害者が移民女性だからなのか。刑事も全くやる気がなさそうだったし、ジェニーを脅した男たちと刑事は知り合いらしい。少女の身元を調べているジェニーを止めるために嘘を言ったとしたらとてつもなく闇が深い。うーん、さすがに考えすぎか(笑)

それとも。本当に警察の間違いで、警察の告げた名は別の人物の名前で、行方不明になっている若い女性が他にもいて混同されているのか。もしそうだとしたらそれはそれで暗澹とさせられる。結局最後まで観てもなぜなのかは理由はわからないけれど、普通に暮らしていては気づかなくとも、日常のすぐそこには深い闇がわだかまっているのかもしれない。そんなことをエンドロールの間中に考えていました。

2017年4月14日追記

名前の件、いろいろ考えたけど偽名だったってことか。警察が知らせた方が偽名。姉が告げた名前が本名。偽造書類を使って入国したと言ってたもんね。考えすぎでした(^^;

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まとめ

少女には名前があり家族があり人生があったはず。にもかかわらず、遠い異国の地でただ搾取された挙句に亡くなり”何もない者”として無縁墓に葬られるしかなくなるのが哀しい。

ブライアンの父は娼婦である少女に何をしようとしたのか…。血相を変えて逃げ出すほどの扱いをしようとしたということだよね、きっと。弱い立場の人間を人として扱わないない連中は確かに存在するのよね。彼だって息子思いのいい父親的な顔も見せるのよ。でも相手が移民の娼婦とわかれば、態度を変えるのね。本当にイヤだ。

映画に登場した幾人ものジェニーを脅す男たちも本当に嫌だった。女は男が脅せは言うことをきかせられると思っている感じ。あの少女やその姉もこんな風に脅されて言うことをきかせられていたのだろうか、とふと思った。相手に人格や意志があるとは認めない。ただ怯えさせて、恐怖心を抱かせて抑圧し支配しようという態度が心底不愉快だった。それに屈しないジェニーにはすごいと思った。

この作品はポピュリズムへのアンチテーゼとして描かれているそうです。ヨーロッパで大きな問題になっている移民問題。移民を国に入れるな!という強硬派が台頭しつつありますね。

「ドアを開けて中に入れる。」というのは、移民を受け入れるかどうかということに繋がるんだね。

助けを求めてドアをたたく人のために手を差し伸べることができるだろうか?

ドアを開けずに無関心と不作為と締め出して起きた悲劇を、どのように感じどう受け入れるのか。 自分の責任として認めて改めることができるか?もたらされた結果にも知らぬふりを通すのか。重い問いかけだった。力でジェニーを黙らせようとした男たちの姿もまた、自分とは思想の異なる人々と弾圧して黙らせようとする過激派の姿に重なるように思いました。

以上、『午後8時の訪問者』の感想でした。

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